


「勝ち組」に「負け組」。このような言葉をよく耳にするようになったのはいつの頃からだろうか。高度経済成長期の日本は、国民の多くが「中間層」に属していた。収入も、暮らしぶりも良くも悪くも平均的な世帯……。バブル崩壊、平成大不況、そうした日本の経済の悪化が国民を勝ち組と負け組に二極化したわけだが、負け組とはどんな人々なのか。多くの場合、リストラされてしまったり、就職難で職に就けなかったり、また、急病や事故で経済状態が悪くなるなどの理由で、収入が平均に満たない人々をさす。そのような人々は増大しており、それは生活保護の受給数にも現れている。今や生活保護にかかる費用は約2兆7千億円(平成17年度)にものぼる。当然様々な問題が発生している。それはどんなものなのだろうか。
例えば、生活保護の不正受給だ。生活保護費は、最低生活費から収入を差し引いた金額だが、より多くの生活保護費を受給するために、就労の事実を隠したり、労働以外の収入源を隠したりするのだ。不正に受給される生活保護費は年々増加しており、2008年末の報道では約92億円と言われ、深刻な問題となっている。もちろん看過できる問題ではないが、不正受給を行う人々の中には悪意がない場合もある。生活保護を受けている状態で仕事につくことができたとする。その状況を申告すれば生活保護の金額が少なくなるか、もしくは生活保護が終了するので、つい魔が差して意図的に「申告を忘れ」たことにしてしまうのだ。悪意の有無に関わらず、生活保護の義務に反しているため、許されないが、社会保障制度の不信や、いつ仕事を解雇されるかわからない社会情勢を鑑みれば、少しでもお金を手に入れたいと思ってしまうのは無理もない。改善が非常に難しい問題だ。不正受給とは別に、噴出している問題としては「貧困ビジネス」が挙げられる。貧困ビジネスの定義はもともと、「貧困層を対象とした商業サービスで、そのサービス自体は、貧困状態を好転させず、貧困を固定化するもの」というものだ。派遣労働の人材派遣会社、無料低額宿泊所、インターネットカフェ、ヤミ金融などが当てはまる。貧困ビジネスを巡る事件では、2009年12月のFISの事件が記憶に新しいのではないだろうか。首都圏を中心に無料低額宿泊所を運営していた個人事業主ら3名は、2007年までに総額約5億円の所得を隠し脱税したとして起訴された。無料低額宿泊所とは、都道府県知事への届け出で開設でき、生計困難者を対象に宿泊所を提供するビジネスだ。入居には、生活保護が受給されていることが前提であることが多く、悪質なものでは、ホームレスに生活保護を申告させ、宿泊費として金銭をピンハネするものもある。FISの場合、入所者1人あたり毎月12万円前後支給される保護費から、家賃や食費約9万円を集めていた。このように生活保護が悪用される実態が年々明らかになっており、生活保護制度自体への批判も市井レベルで高まってきている。
日本を覆い、停滞している貧困の雲。ここでひとつの疑問が生まれる。貧困は、個人の問題なのか。貧困を社会問題と捉える研究者やジャーナリストは多い。貧困の現状とその問題点を、ジャーナリストの丸山祐介氏に聞いた。
現在の日本社会を「貧困」と定義したのは、自立生活サポートセンター・もやいの湯浅誠事務局長です。小泉政権末期の2006年ごろ、ニュースでは、連日のように「格差」が語られていました。格差というのは、所得が二極化している現状をさします。高収入者と低所得者とに日本社会が二分化していたのです。所得が低ければ生活に困窮する人もいるでしょう。しかし、単純に所得の低い人=貧困とすることはできません。社会問題とされる貧困の定義は、低所得者の中でも、収入が最低生活費と同じかそれ以下の水準を指します。最低生活費とは、生活できるギリギリのお金。労働を減らしてしまうと家賃を払えなくなったり、食事ができなくなったりしてしまう金額です。生きるため、人間らしい尊厳を守るため、常に働き続けなければならないという強迫観念に悩まされ、経済的にも精神的にも追い詰められた状態になります。貧困には様々な問題がありますが、特に難しいのは、貧困からの脱出です。収入を上げるために転職しようとしても転職期間を設けられない、または、転職先がない。教育を受け、スキルアップを図ろうとしてもその費用も時間もない。結果、年齢だけを重ね、人生のやり直しが難しくなってしまいます。そのうえ、貧困層の多くが、いざと言うときに支援を求める先すらありません。その状況で怪我や病気をしてしまえばもう貧困から浮かび上がることができません。 ここにこそ「自己責任」という言葉では片づけられない“社会のゆがみ”、既存の福祉制度や労働システムによって労働者を貧困に陥れてしまう要因があるのです。ですから、貧困を社会問題と認識していく必要があるのです。誰であっても「貧困」に陥る危険性があり、無視して通り過ぎることはできません。
本来、貧困が原因であってもそれが見えにくくなってしまっていることが原因です。たとえば、2009年の行旅死亡人は約1,700名でした。行旅死亡人とはいわゆる行き倒れ。身元が不明で、事件性が無く、遺族が身柄を引き取りに現れなかった死亡者のことです。ほかにも近年では毎年30,000人以上の人が自殺しています。彼らの中に、貧困によって生活が行き詰まり、死を選んだ人がどれくらいいるでしょうか。行き倒れで亡くなる方の多くは、福祉的な保護も受けられず身を寄せる家族もいない貧困状態の人です。年間自殺者のうち約8,000人は生活苦を原因にしています。自殺を防止する社会的な枠組みは設けられていますが、直接、その原因である貧困には対策が講じられていないのが現状です。これはごく一例ですが、このように、貧困が問題として表面化する前に、貧困の結果が別の社会問題として捉えられるため、貧困自体を社会が直視できない状況にあるのです。
貧困状態に陥っている人がそこから脱出するには、「生活保護」があります。しかし、受給者になるためのハードルは意外に高く、働く能力や親族の扶養の有無など、役所が詳しく調べて、受けられないこともあるのです。とはいえ、現代社会では、働く能力があろうとも働き口があるとは限らないし、親族がいても絶縁している可能性だってあるでしょう。むしろ社会的に孤立している状態だから「貧困」なのです。これは、生活保護が貧困の完全なセーフティネットになっているわけではない、つまり個人レベルの解決策は、現状では根本的なものは少ないと言わざるをえません。「自立生活サポートセンター・もやい」や「反貧困ネットワーク」が代表的ですが、そうした境遇の人々の自立支援を行う団体があるので、とにかく相談してみるのが解決策を考える近道かも知れません。社会としての解決策は、まず貧困を社会全体が認知することです。問題の認知度が高まれば、政策レベルでの貧困解決の取り組みが行われるはずです。これはあくまで希望的な観測にすぎず、現状では「手つかず」なのです。 貧困は、出生率の低下や経済の停滞など、あらゆる社会現象と密接な関係にあります。誰にとっても対岸の火事というわけにはいかないのが現実です。
取材:小神野 真弘(OCNジャーナル編集部)
取材協力:厚生労働省 社会・援護局 保護課、丸山祐介

