

片岡鶴太郎の~人生は川の如く旅の如く~講座 第1回
── 片岡鶴太郎さんの「多芸」の源流に遡ってみたいと思います。どんなお子さんだったんですか?
鶴太郎:「いやあ、ほとんど今と変わっていませんよ。うちの親は放任主義で、こうしなさい、ああしなさい、ってことがほとんどなかった。最低限のしつけぐらいで。『人に迷惑かけるな』とかね。好きなようにさせてもらっていました。父も母も勉強しろとは、ただの一度も言わなかったんです」
── ただの一度も、ですか?
鶴太郎:「ええ。ただ、小学校の低学年のときに、時計の読み方と足し算がわからなくて、それだけは父親に夜中まで怒られながら教えてもらった記憶があります。さすがに時計が読めないのは、まずいですもんね(笑)」
── お父さまは子煩悩な方だったんですか?
鶴太郎:「親父は5歳のときに自分の父親を亡くして里子に出されたんです。一家団らんの経験がなかったんですね。だから、貧しいながらも家族で食事したり、旅行したり、そういうことを大切にする人でした。でも、勉強については、いっさい何も言わない。親が勉強しろと言わないものですから、当然、勉強しない(笑)。勉強しないから、学校の成績もひどいものでしたよ」
── 勉強が嫌いだった。
鶴太郎:「嫌いというよりも、勉強というものをやったことないので、やり方が全くわからないんです。中間・期末試験の前になると、友達同士で『試験勉強やった?』『全然やってない』なんて会話があるじゃないですか。それを僕一人だけが真に受けていたんですね」
── アハハハハ!
鶴太郎:「試験というものは勉強しないでドン! と今までの成果を見せるものだと本気で思っていましたから。でも後で聞いたら、みんな試験勉強やっているんですね。ほんっとに汚ねえ奴らだな、と(笑)」
── そもそも試験勉強の意味がわからなかった。
鶴太郎:「試験があると学校が早く終わって遊べるから、すごく楽しいなー!と思ってました(笑)。ところが、あまりにも成績がひどいものですから、中学3年生になって、このままでは都立の高校は難しいと言われまして。母親は『うちはお金ないから私立は行かせられないよ』と言う。やっぱり高校は出ておきたい。これはまずい、なんとかしなきゃ。それで、中3の夏休みから勉強を始めてみたんです。でも、中3の問題集を見ても、さっぱりわからないんですよね。こりゃまずいな、と中2の問題集を見たら、やっぱりわからない。続いて中1の問題集もわからない。もう、しょうがないから、小学校からやり直すことにしたんです。本屋に行って小6のドリルや参考書を買って。それで勉強したら、小6レベルはなんとなくわかるようになってきた。その後、中1のドリルと参考書を見たら、そういえば先生がこんなこと言ってたなーって、だんだんわかってきたんです。中2、中3と進んで行って、やっと今習っていること、何日か前に先生が黒板に書いていたことが把握できるようになった」
── それまで勉強の習慣がなかったんですよね。途中で投げ出したくなりませんでしたか?
鶴太郎:「それがね、おもしろかったんです。たとえば小6の算数問題を解いて、答え合わせをすると合っている。小6、中1、中2、中3……。問題が解けるのが楽しくて楽しくて、夕方の4時から明け方の4時までずーっと夢中になってやりました」
── 極端ですね……。
鶴太郎:「やり方がわかるとおもしろいんです。ああ、勉強っていうのは、こういうふうにやるのか。なぜ今までやらなかったんだ(笑)」
── 成果は出ましたか?
鶴太郎:「出ました。夏休み明けに、国語、数学、英語の抜き打ちテストがあったんです。いままでビリだった僕が、学内で10番以内に入って、墨文字で名前が張り出された。担任の先生が驚いてね、『おまえカンニングしたのか?』と」
── アハハハハ!
鶴太郎:「『先生、勉強したんですよ!』って言ったらね、先生が、『そうか。お前、バカじゃないんだよ、お前、やればできるんだよ!』って。その体験がね、私の人生の大きな“核”になっているんですよ。やればできるんだ。本気でこれをやろう、と思ったときの努力と集中力は誰にも負けない── 。今でも、なにかを始めるときは、いつも、そういう入り方をするんです」
── それで、無理だと言われていた都立の志望校に合格されたんですよね。ご両親も喜ばれたでしょう。
鶴太郎:「公立で月謝かからなくてよかったな、と言われました(笑)。後年、母親に当時のことを聞いてみたんです。なぜ一回も勉強しろと言わなかったのか、と。すると、母親は『やりたくなったらやるだろ。やる気がないのにやれって言ったってしょうがない。だから何も言わなかったんだ』と言うんです。」
── すばらしい教育方針ですね。
鶴太郎:「『じゃあ、俺が何もやらない、ってなったら、それでよかったの?』って聞いたんです。すると、『それはしょうがないじゃないか。でも、おまえはやると思ってたよ』って」
── いい話ですね。ところで、お笑いの道に進みたい、というビジョンはいつごろから持っていたんですか?
鶴太郎:「小学校の4、5年生ごろには、既にそういう気持ちがありましたね」
── きっかけは?
鶴太郎:「私は東京の下町の生まれなんです。それで、父親は寄席や軽演劇、母親は芝居が好きだったものですから、物心つく頃から、ずっとそういう場所に連れていってもらっていた。そういう環境が大きかったと思います」
── 鶴太郎さんのお笑いのルーツは寄席や大衆演劇にあると?
鶴太郎:「ええ、そうですね。見るテレビ番組もそういうものが多かったですね。当時は、ちょうどテレビが家庭に普及して、演芸も流行っていたんです。寄席はお客さんでごった返していて、父親に連れてってもらうと、いつもはブラウン管の向こう側にいる人が生で舞台に出ていて、それを興味深く見ていました」
── 落語家になろうとは思わなかったんですか?
鶴太郎:「やっぱり、じいさんがじーっと背中丸めてお茶飲みながら一席話してるのを聞いても、子どもには、なかなかわからないんですよ(笑)。だんだん慣れてくると、話の内容もわかってくるんですけどね。で、やっぱり、わかりやすいのは奇術や手品、あとボーイズ(音楽ショー)、漫才、物真似。いわゆる“色物”です。そこから芸能の世界に引き込まれていった」
── いつかは自分も舞台に立ちたいと。
鶴太郎:「それで、小学校5年生のとき、フジテレビの視聴者参加番組『しろうと寄席』に応募して。予選オーディションに受かってテレビに出ることになったんです」
── テレビ初出演は小学校5年生ですか! すごいですね。演目は何を?
鶴太郎:「動物の物真似です。犬、猫、ブタ、カラス……。まあ、子どもですからね」
── 教室で披露すれば、人気者になれそうですね。
鶴太郎:「ところが、それまで人前でやったことがなかった。やるんだったら大舞台でやるんだ、と。親にも見せたことがなかった。知っている人の前でやるのが恥ずかしかったんですね。それで、『しろうと寄席』のオーディションの通知が来たとき、父親から『お前、何をやるんだ』って言われて。『……ちょっと物真似を』『ここでやってみろ』『いや、できない』って(笑)。『ここで、できねえんだったら、お前、オーディション出たって、できねえだろ!』『いや、ここじゃできないけど、オーディションに行ったらやる』。それで、やる、やらないで親子ゲンカですよ。『だったらオーディションに連れてかない』『いいよ。親戚のおばちゃんに連れてってもらうから』って(笑)。今でもそうなんだけど、リハーサルって嫌いなんですよ。やるなら本番でドンとやる」
── さっきの試験勉強の話と同じじゃないですか(笑)。なぜ、リハーサルが嫌いなんですか?
鶴太郎:「やっぱり、“照れ”ですね。芸人は、そんなところがあるんですよ。みんな、リハーサルは、やたらヤル気なさそうにやります(笑)。でも、本番で決める。で、そのオーディションのとき、番組のAD(アシスタント・ディレクター)の方が、非常に親切に面倒を見てくださいましてね。『荻野(本名)くんはどういうネタをやるの?』と声を掛けてくれて、じゃあ、こうしよう、ああしようと相談にのってくれるんです。で、その方とは、それから13、4年後、私の人生を大きく変えるような運命的な再会をするんです。が、その話は、また今度」
聞き手・構成:古川 智子(OCNジャーナル編集部) 協力:株式会社 太田プロダクション
PROFILE
片岡 鶴太郎(かたおかつるたろう)